SSブログ

あっさりしんじめぇ~ [言葉遊び]

あっさりしんじめぇ~.jpg

 もし、救急病院の入院病棟近くで「あっさりしんじめぇ~」などと大声を張り上げていたら袋叩きにされそうですが、実は古くから色々な地域で親子代々語り継がれる言葉遊びの逸話として知られているもののひとつです。

 言葉の響きがいかにも不穏な空気をまとっているのですが、種明かしをすると貝の「アサリとシジミ」が訛ったものだとされています。

 これは昔、アサリとシジミを売り歩く行商人がいて「アサリ~シジミ~」というように、客を呼び集めるために道端から垣根越しの家まで聞こえるように発した大声が、あたかも「あっさりしんじめぇ~」(あっさり死んじまえ)のように聞こえた、というものです。

 ただ、この話には懐疑的なところがあります。

 私は幼い頃に母からこの話を聞かされたのですが、その母も祖父(私からは曽祖父=ひいおじいちゃん)から聞いたそうなので、実際にそういう行商人が「いた」という話なのか、それとも誰かの創作なのかハッキリしません。

 本当にいたとしたら、移動手段は何だったのでしょうか。

 曽祖父の時代背景を考えると自動車や自転車ではなさそうです。ならば大八車だったのか、それとも背中に背負って歩いたのでしょうか。

 母が生まれ育った地は茨城県の東西に延びる国道50号線沿いの山間なので、もしその土地に伝わる話だとしたら行商人は何時間もかけて、当時は舗装されていない山道をひた歩いて移動していたことになります。

 それに、売り物は本当にアサリとシジミだったのでしょうか。

 茨城県にはシジミの産地である涸沼がありますが、アサリは残念ながら捕れません。

 隣接する産地で比較的近くの市場まで買い出しに行くとなると東京都か千葉県しかありません。

 ということは、東京や千葉から茨城県にアサリを売りに行く行商人がいたということでしょうか。

 昔は茨城県の農家の女性が野菜などを売るために常磐線を利用して東京に来ていたという話を聞いたことがあります。

 常磐線の主要な駅には行商台という腰掛けに似た荷物台が設置されていて、行商人たちが電車の待ち時間に背負籠や手荷物をその台の上に置いて身体を休めているという風景が当たり前に見られたそうです。

 ならば、東京から茨城県の方にアサリを売りに行く行商人がいたとしてもおかしくはないかもしれません。

 母が育った地に一番近い友部駅が開業したのは明治28年なので、そう考えると確かに曽祖父が存命中の時代の話としては「あり得る話かも」なんて考えもしました。

 でも、当時始発駅の日暮里から100キロメートル近くの遠路を鈍行列車(各駅停車)で往復4時間もかかり、さらに友部駅から国道50号線に向かって歩くとなると片道だけで丸一日かかるので、とても商売どころではなくなります。

 やっぱり、この逸話はその土地で独自に生まれたものではなく、誰かの創作が人づてにやってきて曽祖父の耳目に触れることになったのだろう、という気がします。

 他にもよく聞かされた言葉としては、外国語のような響きのある言葉がたくさんありました。

 たとえば、ハッキトール、ハットナクトフール、オストアーンデル、ヒネルトジャーなど。

 ちなみに、ハッキトールは「掃き、取る」なので箒(ホウキ)と塵取りのこと。ハットナクトフールは「鳩(が)鳴くと(明日は雨が)降る」のこと。オストアーンデルは「押すと餡(あんこが)出る」ので饅頭(まんじゅう)のこと。ヒネルトジャーは「ひねるとジャー(と水が出る)」なので水道の蛇口のこと。

 でもどうして。

 水道は東京都ですら昭和30年代になるまで敷設されていなかったのに、曽祖父が晩年を迎える頃もまだ井戸と手押しポンプしかなかった茨城県の片田舎で「ひねる」という蛇口の発想があったのか、とても不思議。

 多分これらの言葉遊びは曽祖父の創作ではなく、どこかで生まれた当時の流行り言葉が水道の敷設より急速に全国へ伝播していったものなのでしょう。

 そう考えると、単なる言葉遊びの中にも昔の人々がどんなものに興味や関心を持って暮らしていたのか、ちょっとだけ垣間見ることができたような気がします。

タグ:言葉遊び
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。